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お手数ですが、『ちゃあちゃんのおうち』のあんべ光俊
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福祉バンク30周年・マニラ育英会15周年・いきいき牧場10周年記念
われら人間コンサート
in 盛岡 2004

2004年10月10日(日)
盛岡グランドホテル
ウェルカムプラザ



こちらが本日のチケット(但し、近所のローソンで購入した物)です。


こちらは本日のパンフレットの表紙です。
これと同じデザインのポスターが市内のアチコチに貼ってありました。


ちゃあママにとって昨年の10月以来、ちょうど1年振りのあんべさんとのご対面?は、この日盛岡で行われた「われら人間コンサート」でした。
とは言え、実は今回の盛岡行きは当初7日(木)に行われたe-voxの1stアルバム発売記念ライヴが目的で決めたこと。その後、せっかく盛岡まで行くのだからもう2泊して、あんべさんまで聴いて来ようと思ったのでした。^^;

盛岡滞在4日目、11時少し前にホテルをチェックアウトして、会場の盛岡グランドホテル・ウェルカムプラザ(コンベンションホール)へタクシーで向かいました。会場に11時ちょっと過ぎに到着すると、そこには既に約100人程の列が出来ていて、私も荷物をクロークに預けてすぐに並びました。(お腹が空いた〜!)

さて、12時を少し回った頃のホテルのロビーにはものすごい長蛇の列が出来、おまけに熱気でムンムン。列のそこここから誰ともなく「もう入れてよ!」との声が上がり始めると、開場時間にはまだ早いけど12時10分頃から入場が始まりました。

−われら人間コンサート in 盛岡 2004・パンフレットより−

 昭和45(1970)年、岩手国体のあとに開かれた全国身障者スポーツ大会で盛り上がった「もりおか愛の市民運動」や「盛岡世代にかける橋」の活動などを契機として、全国から注目を集める盛岡市民福祉バンクが創設されてから、今年で30周年になります。
 それ以来、その中心となった馬場勝彦氏(福祉バンク会長、いきいき牧場理事長)の福祉への限りない情熱が原動力となって、盛岡・マニラ育英会(発足15周年)、そして社会福祉法人いきいき牧場(同10周年)が次々と誕生し、その活動は、福祉バンクと共にさらに大きく飛躍しようとしています。
 こうした節目にあたり、いま闘病生活を続ける馬場勝彦氏の一日も早い回復の祈りをこめ、私たちを古くから支援してくださった秋山ちえ子さん、永六輔さん、さとう宗幸さん、伊奈かっぺいさん、あんべ光俊さんほか有志の方々のご協力のもと「われら人間コンサート」を企画しました。皆様と一緒に駆けてきた30年。数え切れない“たくさんのありがとう”を今、このコンサートをとおして、皆さんにお贈りしたいと存じます。
われら人間コンサート in 盛岡 2004実行委員会
委員長 村井 政吉(盛岡市民福祉バンク副会長)

さて、1000人規模の会合が可能とのウェルカムプラザ(コンベンションホール)の広さ・豪華さに目を見張りつつ、客席の真ん中辺りの前から2列目に席を確保し、ちょっとトイレへ行って再度席に戻るとステージ上には何故か、永六輔さんがいらっしゃいました。
開演までの約20分間、永六輔さんによる前説(さながら、独演会状態)や、またその後ステージにご登場の伊奈かっぺいさんからのコンサート中の注意点のご案内、そして、小林啓子さんによる歌のご披露(永さんによると開演ベルの代わりだそうですが!)などがありました。
なお、昨年の10月に脳梗塞に襲われたと言う伊奈さんでしたが、心配された後遺症も特に見受けられないご様子で、相も変わらず“舌好調”と言う感じでした。(笑)
※なお、お名前・団体名の後のプロフィールなどは、主に「われら人間コンサート in 盛岡 2004」のパンフレットより拝借して掲載しました。

永六輔さん

1933年、東京は浅草永住町の寺の子として生まれる。中学生の時、NHKラジオ「日曜娯楽版」に投書をして以来ラジオを中心に作詞、テレビ、出版の仕事を続けている。 (中略) 福祉バンク設立当初からの力強い応援団で、1977年にはオークションコンサートも開く。盛岡では「われコン」の他、「そば屋寄席」の仕掛け人として、また2度の「ニッポンめんこいサミット」の議長として活躍。福祉バンク、いきいき牧場の応援団長として再々来訪し、「噺のコンサート」を続けて下さっている。

伊奈かっぺいさん

1947年、弘前市で生まれる。1968年6月RAB青森放送入社。ラジオ・テレビディレクターとして活躍。1974年8月方言特集を自費出版し、これがきっかけとなり自作の詩の歌などステージでの活動を続け、全国的に幅広いファンを獲得する。 (中略) 作家、作曲家、歌手、映画・舞台の俳優、ナレーター・・・そして本業のサラリーマン。「われコン」の出演や旧いきいき牧場のにわとり購入作戦チャリティーコンサートを開いて下さったり、「100キロ歩こう!会」のボランティアとしても活躍。

【 第1部 】
13:00〜

開演を知らせる“星めぐりのうた”のオルゴールの音色と共に、永六輔さん、伊奈かっぺいさんが改めてステージに登場され、お二人の司会によっていよいよ「われら人間コンサート in 盛岡 2004」が始まりました。
>「さて、ここで秋山ちえ子さんのご挨拶、進行表には10分と書いてあるんですが。」
>「普通こんなに長いですか?!」
>「一言って言えば普通は何分って考えればいいの?」
>「8分から9分?!」
お二人の何とも言えない絶妙な話術に、場内は既に笑いの渦でした。
>「秋山ちえ子さんです。」
ステージ袖からご登場かと思いきや、何と客席から、それも私のすぐ横の席からステージに登場なさった秋山ちえ子さんでした。

1.秋山ちえ子さん(ご挨拶)
1917年、仙台市で生まれる。東京女子高等師範学校卒業後、国立聾唖学校の教官を4年、結婚し退職。 (中略) 盛岡の「われコン」には、すべて出演して下さっている。1979年から福祉バンク付属農園(現社会福祉法人いきいき牧場)を支援、1993年にいきいき牧場講演会いきいき村村長就任。村民交流センター「風の館」建設に大きなお力添えを頂き、現在も多方面にわたり応援して下さっている。
※「 」内は、特に印象に残ったお言葉だけ、抜粋してご案内します。
>「障害を持った人が可哀想だけの人じゃないんです。障害を持った人が可哀想だけだったら、年を取った人がみんな可哀想になってしまう。そうじゃないでしょ?!

(中略)

昔は障害を持った子供を産んだお母さんは、世間に肩身が狭いって言うような思いで隠れていたりしました。でも最近では障害を持った人も仕事をしようじゃないかって言う気風も出て参りましたし、一般の人にも自分が何か出来る事をやろうじゃないかと言う気分が、ボランティアと言う言葉でもやられるようになりました。私が50何年間ラジオの放送を通じてやって来た事は、そう言う種を蒔いた事だと思っております。

(中略)

何か自分の出来る事を、ほんの少しだけでもやって下さるといいなと思います。どうぞ皆さん毎日ご健康で、良い種蒔きをなさって下さいます様にお祈り申し上げます。

(中略)


最後にもう一つ。今日の会の全ての種蒔きをなさったのは馬場勝彦さんです。今は病気で倒れておりますが、昨日お会いした気功の先生に伺ったところ、ちょっとの間あそこの馬場さんを皆さんが見て下さるだけで、大きな力を送れるんですよって言われたんです。以前の元気な馬場さんに早く戻って頂きたくて皆さんに見て頂きました。ありがとうございました。」
司会のお二人がステージに再登場なさいました。
>「この後約3時間ほど次から次へとコンサートが続きますが、『あぁ、この人の歌いやだなぁ。』と思ってもそう言う顔をしないでね!」
場内大爆笑!
>「ほんの10分ぐらいで代わりますから。その次に好きなのが出て来ると思うと宜しいんじゃないかと。」
場内さらに大爆笑!
>「いい風に考えて。嫌いな弁当は残して良いよみたいな感じでね。」
>「幕の内弁当みたいになってるんだね。好きなの探して食べれば良いんだね。」
>「そそ!最終的に嫌いなの残してもいい訳ですから。」
>「では、今日は皆さんに幕の内弁当をお届けします。」
>「いろんなお料理が次々と出て参りますので、お楽しみ頂きたいと思います。」
お二人の絶妙な話術に場内の笑いは止まりません。(笑)
>「『われら人間コンサート』のお話を初めて聞いて、盛岡でやってその後、青森でもやったんですが、永さんの言葉ですごく印象に残っていて今も覚えている言葉は、“障害を既に持った人も、これから持つ人も”と言う言葉がずっと私の中に残っています。」

>「それでは熊谷奈津子さんのステージからお楽しみ頂きたいと思います。」
2.熊谷奈津子さん
1965年、盛岡市生まれ。3歳10ヶ月でリューマチを発病し、6歳で寝たきりになる。在宅訪問教育を受け、小学生から詩を書き始める。1998年、テレビ番組「ふりむけば歌の道」課題曲「六本木バツイチ」で合格。2001年、日本クラウンより自ら作詞した「愛・・・限りなく/笑ってごらん」でシングルデビュー。(後略)
女性に押された車椅子に横たわったまま、鮮やかな黄色のオーガンジーのドレス姿で熊谷奈津子さんが登場されました。
>「皆さんこんにちは。熊谷奈津子です。」
熊谷奈津子さんからこれまでの闘病の経緯や、デビューまでの経緯などがご紹介されました。
>「それでは初めに、両親に贈るメッセージソング“愛・・・限りなく”から聴いて下さい。」
1.愛・・・限りなく
専門の手話通訳の方がついての熱唱でした。(なお、ジャンルはモロ歌謡曲!って感じでしょうか?!)
>「私も今年はデビュー3年目の記念にCDアルバムを出しました。作曲にも挑戦しました。これからも唄い続けて行きますので、応援を宜しくお願いします。」
2.嘘と罪
>「ありがとうございました。それでは、次は今話題の松本哲也さんです。どうぞ!」
熊谷さんのご紹介で松本哲也さんがステージに登場されました。しばらくお二人でのお話の後、熊谷さんがご退場なさいました。

3.松本哲也さん
1976年、水沢市生まれ。幼少期を児童養護施設で育つ。中学卒業後単身上京。2002年5月、ワーナーミュージックジャパンから「翼」でメジャーデビュー。2003年、生母の訃報を機に、故郷岩手でライヴ活動や福祉施設などで慰問ライヴを積極的に始める。 (後略) 
>「こういった形でライヴをやるのは初めてなので緊張してますが。改めまして皆さん、松本哲也です!それでは“空白”と言う曲を聴いて下さい。」
緊張しまくりと言った雰囲気の松本さん、ギターを弾きながら1フレーズ唄ったところで曲が止まり、再度唄い直しになりました。^^;
1.空白
>「せっかく盛岡に来たので盛岡の大親友に助っ人に入って貰おうと思います。津軽三味線の三連覇チャンピオン、松田隆之!」
松田隆之さん
津軽三味線全国大会三連覇チャンピオン。青森県出身。
ここで昨年末に松本さんと松田さんが揃って参加した“ラジソン”の爆笑エピソードなどがご披露されました。
と、ここでステージ袖から永さんが右手をグルグル回しながら現れました。(巻きの合図ですね!)
>「すいません!(中略) 僕も津軽三味線ときちんと丸々1曲やるのは初めてですが、ちょっと実験的なところもあるんですが。(笑)」
前日、新幹線に乗っている時からの緊張が抜けず、おまけにさっきの永さんの怖い顔が浮かんで歌詞が飛んでしまったと、またしても唄い直しの松本さんでした!
2.悲しみが消えるまで
>「最後の曲です。3倍で唄いますから。(笑) 僕は本やTVでもいろいろと紹介されてますが、どんな事があっても優しい気持ちを忘れないで生きて行きたいと思っています。傷ついた分だけきっと優しくなれるんだ、と言う事を絶対に忘れないで、人にもそう言うことを伝えて行きたいと思います。そんな曲です、“心に集めて”。」
3.心に集めて
>「ありがとうございました!」
ステージに伊奈さんがご登場なさいました。
>「続いての舞台は斉藤政敏さんのご登場です。盛岡の『われコン』にはずっとご参加頂いています。斉藤政敏さんです!」
付き添いの女性に手を引かれ、客席から斉藤さんがステージに登場なさいました。

4.斉藤政敏さん
盲目のピアニスト。1942年、盛岡市で生まれる。岩手県立盲学校卒業。小学部3年よりヴァイオリン、ピアノを習いはじめ、中学部の時バンド「プラタナスメロディアンズ」を結成し、演奏活動を始める。刑務所、各学校への演奏活動を通じ晴眼者との交流をふかめ、現在、遠野市民バンドマスター、遠野ニューリバティーズのリーダー、遠野少年少女合唱隊の指導を努める。盛岡の「われコン」には、すべて出演して下さっている。遠野市在住。
1.曲目不明
>「お久し振りです、斉藤さん。相変わらず指の動きは滑らかですね。脳梗塞は経験してませんね。」
>「えぇ、その代わりちょっと心臓が壊れてまして。」
>「心臓ですか。心臓ぐらいなんですかね。(笑)」
場内大爆笑!
>「斉藤さんに何か一緒にって言われましたが、歌も唄えませんしねぇ。そこで、斉藤さんが私の詩の朗読にBGMを付けて下さると言うので、やってみたいと思いますが。どっちみち意味が分からないと思いますので、ピアノだけ聴いて頂ければと思います。では。」
と言う事で始まった詩の朗読でしたが、「川の水っこは、いつも動いてるはんでや・・・」と始まったもので会場からは笑いがもれました。
2.伊奈かっぺいさんによる詩の朗読
  
(方丈記@津軽弁ver)
>「如何でしたか?なかなか詩の内容は悪くはなかったんですが、着いて来れなかった方は着いて来れなかったでしょうね。」
場内大爆笑!
>「ここで永さんに登場して頂きます。永さんは何を津軽弁に直してくれるでしょうか。って出来ないのでございます。(笑)」
ここで永さんがご登場。
>「では、私はジャズを。せっかくジャズピアニストをお招きしてるので、ジャズです。戦争が終わった直後、焼け跡でジープを追い掛けながら、カタカナで覚えた“テネシーワルツ”を、当時のままで。」
「アイ ワズ ワルチング・・・」と、仰った通りの、まんまカタカナでの“テネシーワルツ”に、会場のアチコチから笑いと喚声と拍手が巻き起こりました。
3.永六輔さんによるテネシーワルツ
  
(ジャパニーズ カタカナ イングリッシュver)
>「斉藤さんでした。」
付き添いの女性に手を引かれ、斉藤さんが客席へ戻られました。
>「焼け跡と言えば、私は学童疎開の世代です。ちょっと兄貴になる野坂昭如は学徒動員世代、そして、小沢昭一と言う人は学徒出陣、つまり戦争に行ってたんです。」
永さんのそんな言葉で始まったお話は、戦争体験を語り伝えようと言う活動を3人でやっていらした時に、実際に戦争に行った方はその中にはいなかったそうで、そこで実際に戦争に行った人のお話をと言う時に、三波春夫さんが参加して下さったとの事。
そんな中で三波さんから『永さん、作詞をしませんか?』と言うお話があり作った曲は、三波さんが80歳になっても90歳になっても唄える歌だったそうですが、曲は無事に出来上がったものの、当時ガンを患っていらした三波さんには残念ながら唄って頂く事が出来なかったそうです。
>「では、そう言う歌があるなら唄わせて下さい、と言うのが先ほどの小林啓子さんです。本来なら三波春夫が唄うはずだった曲です。“明日咲くつぼみに”」

5.小林啓子さん
東京都生まれ、聖心女子学院英語専攻科在学中より、アマチュアとしてフォークソングを唄い、ジョーンバエズと同じ舞台を踏む。1969年、キングレコードより「こわれた愛のかけら」でデビュー。その後NHKテレビ「ステージ101」など数本のレギュラー番組を持つ。 (中略) その後、長い間活動を休止していたが、2002年より再びライヴを中心に活動を開始。
椅子に座りギターを弾きながら、しっとりと唄い始めた小林啓子さん。
1.明日咲くつぼみに
>「先ほど秋山先生が仰った、1人ではなかなかパワーはないけど、多くの人が集まって同じ事を思えば強いエネルギーになると思います。大変な世の中ですが、次には願いの歌を唄いまので、その時だけは平和になって良い世界が戻って来る事を祈ってみたいと思います。」
2.Amazing Greace
>「小林啓子でした。休憩時間には自分でCDを売りに行くの?」
>「そうですね!」
そんな言葉を残して、小林さんがステージを去り、代わりに伊奈さんが登場なさいました。
>「CD売っていいんだったら、私も持って来れば良かった!私にはその連絡がなかった・・・。」
場内大爆笑!
そんな中、お二人からはこれから15分の休憩に入る事、再入場時の注意点などがご案内されました。

【 休憩タイム 】
14:10〜14:25

休憩時間を利用してトイレに向かうと、ロビーのCD即売コーナーで本当に小林啓子さんがご自分のCDを売っていらっしゃいました。(笑)
それにしても、前売り段階でチケットは完売、すなわち休憩時間の数箇所のトイレはどこも長蛇の列。休憩時間が終わるまでに座席に戻れるんだろうか・・・?

【 第2部 】
14:25〜

15分の休憩が終わり、14:25ちょうどに第1部と同じく“星めぐりのうた”のオルゴールの音色が会場内に流れ始めました。まだまだ戻って来るお客様も多かったのですが、そんな中ステージには竹田さん・吉田さん・太田代君・大ちゃんの4人が揃いました。
そして、皆さんのスタンバイが終わると竹田さんの合図に合わせて、会場内にはあんべファンにはお馴染みのあのメロディが流れ始めました。
スポットライトが照らす、会場に戻られるお客様の出入り口の
隣のドアに目をやると、あんべさんを先頭に白と黒のお揃いのトレーナーを着た多くの方々がステージに登場して来ました。

6.あんべ光俊
1953年、釜石市出身。早稲田大学在学中、音楽界にデビュー。以来最新作「JALANの風」まで13枚のアルバムをリリース。今年の6月23日、日本クラウンより「nonohana 歌姫たちのソング・オブ・短歌」を発売。「遠野物語」、「星の旅」、「イーハトーヴの風」などの代表曲のほか、岩手県立大学学生歌「風のモント」をはじめ、坂本九、オフコース、時任三郎などへの作品提供がある。近年は元オフコースのメンバーらと「あんべ光俊音楽旅団」としてロングランのコンサート活動を展開、また、市井の人々の短歌を作曲し地元合唱団と歌う「ふるさと短歌コンサート」の出演、プロデュースやチャリティー活動にも熱心に取り組む。1999年より仙台市在住。
1998年、いきいき牧場野外ステージでチャリティーコンサートを開催(秋山ちえ子の夕涼み会)以後、福祉バンク、いきいき牧場の活動を応援して下さっている。
>「ちょっと打ち合わせと違いますけど、これもライヴね!さぁ、楽しく行きましょう。“オハイエ”!」
1.オハイエ
間奏中にあんべさんから一緒にステージに登場した皆さんのご紹介がありました。
>「白いTシャツを着た皆さんは福祉バンクのみんな!そして、黒いTシャツは松風園の皆さんです!」
そしていつもの様に、あんべさんの手話指導の下、会場の皆さんと共に“おはようアハハ!こんにちはウフフ!”の大合唱となりました。
(財)盛岡市民福祉バンク
1974年、在宅重度障害者の働く場作づくりとリサイクル運動をドッキングさせるという、7人の障害者と馬場勝彦現会長を中心としたボランティア達による「廃品回収」から福祉バンクの活動が始まりました。 (中略) 1984年、第3代会長として馬場勝彦(もりおか愛の市民運動理事長)が就任、以来、福祉バンクの活動は障害者福祉とリサイクル活動にとどまるjことなく、15周年記念事業として、フィリピン・マニラ市に「盛岡マニラ福祉バンク」を設立、マニラ市との国際親善事業から発展し、「盛岡・マニラ育英会」という教育里親事業を開設するに至りました。また、20周年記念事業として「社会福祉法人いきいき牧場」を設立、街で暮らすことの困難な障害者の安住の里を創りあげました。 (後略)
岩手県立松風園音楽サークル
知的障害者更生施設。2001年、歌好きの利用者の希望により月2〜3回の活動を開始し、今年で4年目を迎える。「イーハトーヴの風」は、2002年から2年間に渡って取り組んでいる。
>「(近くにいた女の子にマイクを向けて)どう?」
>「恥ずかしいです。」
>「あはは!恥ずかしいかぁ。僕も恥ずかしいです。そう言われると、恥ずかしい事をずっと続けて来たのかなみたいな。じゃあ、“オハイエ”に続いて“イーハトーヴの風”をみんなで唄います。知ってる方、一緒に唄って下さい。」
2.イーハトーヴの風
>「ありがとう!松風園のみんなでした。そして福祉バンクの皆さんでした。どうもありがとう!大きな拍手下さい。」
会場内からの大きな拍手に送られ、松風園と福祉バンクの皆さんがステージを後にしました。
>「ありがとうございました。良かったよ、すごく。いやぁ、すっごく良い“イーハトーヴの風”だったよ。いやぁ、唄って来て良かったなぁ。」
そう語るあんべさんの声は上ずり気味で、そして、目元にはうっすらと光るものがあったように見えました。
>「福祉バンクの皆さんとの出会いは、いきいき牧場でのコンサートからでした。スタッフの皆さんのすごい真摯な姿、そしてみんなが一生懸命作業してる姿、すごく感動しました。いきいき牧場でコンサートのリハーサルをやらせて頂いた事がありまして、普通はリハーサルって煮詰まるんですけど、皆が遊びに来てくれて『何をそんなに構えてる?』『何をそんなに心に鎧を作ってるんだ!』って諭されたみたいな感じがして、そうだね、無理なく行こうね!ってそんな事を学びました。

馬場勝彦さんにお会いした時に、どうしてこう言う事をされたんですか?って言う話を聞いたら、『宮沢賢治が今生きていたらいったい何をしただろうって。それから僕らの行動が始まったんだよ。』って言って下さいました。
ホテルで馬場さんの奥様にお会いして、馬場さんのお加減は如何ですか?って聞いたら、奥様は『元気で・・・、寝てました。』って。早く元気になって欲しいと思います。

次の歌は坂本九さんの最後から2枚目のシングルの歌です。僕が書かせて頂きました。“夜のしずく”です。」
3.夜のしずく
ところでこの日、ここまでは何とあんべさんのギターを、コーラス担当のe−voxの太田代君が弾いていたのですが、ここであんべさんの手に渡りました。


コンサートの模様を1枚だけ・・・!

>「どうもありがとうございました。さっき松本哲也君の歌を初めて聴きましたけども、ずっと僕らの後輩が岩手に登場しなかったんですごく嬉しかったんですね。心強い限りです。
僕は今、‘銀河系いわて大使’って言うのと、それから遠野の‘民話の里遠野大使’って言うのと、沖縄県の‘那覇市観光大使’って言うのをやらして頂いてるんですが、何をするかって言うと名刺をただ配るだけ、名刺配り係みたいな感じなんですが。(笑)
沖縄に行く度にビックリする事があって、沖縄の人は沖縄の歌、民謡が大好きで、沖縄にしかない民謡のカラオケがあってみんなで唄ってるんですよ。その姿を見た時に『あぁ、やられた!』って思ったんですね。

(中略)

来年辺りに大きなコンサートを、いつも話だけで終わるんじゃないかって、」  
あんべさんがそこまで言うと、その辺の事情に詳しい(!)一部のあんべさんファンからはクスクスと笑いが起こりました。(笑)
>「信じれば叶うってね。(笑) そう言う風に思ってますので、その時は岩手の人にも沢山出演して貰える素敵なコンサートにしたいなって思ってます。
今日は本当にこんな沢山の皆さんがお越し下さいましてありがとうございました。まだまだコンサートは続きます。かっぺいさんがさっき『嫌いな歌もあるかも知れない。もう少しで通り過ぎるから!』って言ってましたが、最後の曲です。“遠野物語”。」
4.遠野物語
あんべさんのコーナーが終わるとステージの裾から司会のお二人が出て来ました。すると・・・、
>「ちょっとメンバー紹介を忘れたんですけど、もうちょっと失礼します!
キーボード・竹田元、ベース・吉田俊光、コーラス・太田代将孝山田大輔です。どうもありがとうございました。」

竹田元
プロデューサー・キーボードプレイヤー。大阪府出身。東京都在住。
吉田俊光
プロデューサー・ベーシスト。宮古市出身・在住。
太田代将孝
アコースティックユニット「e-vox」のメンバー。国立音楽大学声楽科卒業。盛岡市出身。横浜市在住。
山田大輔
アコースティックユニット「e-vox」のメンバー。国立音楽大学声楽科卒業。東京都出身・在住。
最後の最後に一発かましてくれたあんべさんでした!(爆)

ここからは司会のお二人のトークがしばらく続きましたが(主に伊奈さんのお話でしたが)、かなり長かったので割愛させて頂きます。^^;
>「ところで、今日馬場さんがここにいたら絶対に言うだろうなと思うのが、唄っていないのは貴方だけなんだよね。唄いなさい!ねっ、宗さん!」
との呼び掛けに、ステージにさとう宗幸さんが登場なさいました。
>「唄ってないの、この人だけなんだよね。何とかなりませんか?!」
>「かっぺいさんが松原のぶえさんとデュエットなさってるの、皆さんご存知ですか?」
会場からは「え〜?!」と言うどよめきが起きました。
>「じゃあ聴いて頂きましょう!今日は用意してあります。」
>「え〜、うそ!ホント?!」
>「では、“みちのく ふれあい めぐり逢い”、どうぞ〜!」
さとう宗幸さんのご紹介で、会場にはイントロが流れ始めました。

7.伊奈かっぺいさん&庄子眞理子さん(下記参照)
1.みちのく ふれあい めぐり逢い
>「心の準備がない時にいきなりって言うのは、本当に身体に悪いですねぇ。3番の前にもう1度脳梗塞になりそうでしたよ!こう言う歌、苦手なんですよ!得意なのを1曲、♪あなたがいれば(入れ歯)〜、私は差し歯〜って。(笑)」
会場を爆笑の渦に巻き込んだまま、伊奈さんが退場なさいました。会場にはまだまだ笑いが残る中、会場には聞き覚えのあるメロディーが流れ始めました。

8.さとう宗幸さん
1949年、岐阜県で生まれ、2歳の時に(宮城県)古川市に住まいを移す。東北学院大学時代、先代のうたごえ喫茶「若人」でリーダーとして活躍し、卒業後もライヴハウスを中心にコンサート活動をはじめ各地で公演。1978年、「青菜城恋唄」でレコード大賞新人賞、日本作詞大賞などを受賞。 (中略) 秋山さん、永さんと並ぶ「われコン」の顔的存在。福祉バンクやいきいき牧場の応援団としてチャリティーコンサートを開いて下さったり、マニラ福祉バンクの小学生の里親などをかって出て下さっている。
1.青葉城恋唄
1番をマイクを使わずに歌い上げたさとう宗幸さんに、会場からは万来の拍手が起こりました。いやぁ、それにしても、この“青葉城恋唄”は宮城県人にとっては格別の思いがありますなぁ・・・。
>「え〜、『われら人間コンサート』に初めて関わらせて頂いたのが、実はこの盛岡だったんです。1980年だったでしょうか、国際障害者年の年でした。その前に永さんに仙台でお会いした時に、『さとう君、これこれの日に空いてるか?』って言われて『はい、空いてます。』って言ったら、『盛岡に来い!』だけだったんですね。そして、盛岡に来て初めてこんなコンサートだったのを知りました。」
さとうさんからはこの様に、『われら人間コンサート』との出会いと関わり、その後の馬場さんや盛岡との縁の深さと言ったお話がなされました。
>「ではここで、忘れない内にメンバーを紹介します。あんべさんは忘れかけておりましたから!
会場から笑いが起きました。
>「ギター・佐久間順平さん庄子眞理子さん、そして、仙台のミュージックシーンには欠かせないミュージシャンです、榊原光裕さん。永さんもデュエット、かっぺいさんもデュエットでしたので、デュエットで聴いて下さい。“カレンダー”と言う曲です。」
佐久間順平さん
ギタリスト。東京都在住。
庄子眞理子さん
コーラス。仙台市在住。
榊原光裕さん
ピアニスト・仙台市在住。オスカーピーターソン賞受賞。
2.カレンダー
>「僕のとっても尊敬する詩人の詩に曲をつけたものです。“2度とない人生だから”」
3.2度とない人生だから
>「ありがとうございました。さて、今日ははるばると宮古から素晴らしい応援団が駆けつけてくれました。宮古はぁとふるChoirの皆さんです。朝8時に出て来てくれたそうです。」
宮古はぁとふるChoirの皆さんがステージに進む中、ふと気が付くと竹田さん・吉田さん・e-voxの2人もスタンバッテいました。(驚)
4.ありがとうのうた
宮古はぁとふるChoir
宮古地域の知的障害者と地元音楽愛好家で結成した総勢30名のクワイヤバンド。8人のボーカルと打楽器を中心としたエネルギッシュなライヴ活動を宮古・下閉伊地域で展開している。
さとうさんと宮古はぁとふるChoirの皆さんによる素敵なコーラスでした。
>「宮古はぁとふるChoirの皆さんでした。ありがとうございました。」
ステージにはさとうさんと宮古はぁとふるChoirの皆さんが残ったまま、司会のお二人がご登場なさいました。
>「最初から30年間、この『われら人間コンサート』をやって来たのはこの3人ですが。」
>「秋山先生と。」
>「秋山先生はご挨拶だけね。今度唄わせてみますか?!
>「ぜひ!」
またしても会場からは笑いが起きました。そんな中、馬場さんの1日も早いご回復を願うお話がお三方からありました。
>「それでは、今日ご出演の皆さんに、もう1度全員登場してもらいましょう!それと、出演者だけじゃなくて福祉バンクのスタッフの皆さん、いきいき牧場のスタッフの皆さんも、乗れる限りステージに上がって下さい!」
永さんのそんな言葉で本日ご出演の皆さんが勢揃いなさり、この日のコンサートも遂にフィナーレとなりました。

【 フィナーレ 】

>「では全員揃ったところで、最後の歌手をご紹介しましょう。秋山ちえ子さんです!
場内大爆笑!&大喝采!!
>「先生、曲目は?
またも場内は大爆笑!
9.秋山ちえ子さん(閉会のご挨拶)
>「私は今、感無量で皆さんの歌やお話を聞いていました。」
ここで秋山さんからご披露されたいきいき牧場設立までのエピソードは、パンフレットからの拝借で前述していますが、1997年8月17日(日)、銀座SOMIDOホールに馬場勝彦さんをお招きして開催された、『人の森を旅する道Vol.4』でも詳しくご紹介していますので、宜しければこちらからご覧下さい。
>「皆さん一人一人に心から感謝したいし、馬場さんにこの事を早く報告したいし、この熱気はきっと寝ている枕元に伝わっているんじゃないかしらと思うと胸がいっぱいになって参ります。皆さん、お帰りになる時にあそこの馬場さんの笑顔に『その笑顔で早く戻ってらっしゃい!』って写真を見て頂きたいなぁと思います。本当に皆様ありがとうございました。」
ここで秋山さんには大きな花束が贈られましたが、「皆様の代理で受け取ります。」と仰いながら、秋山さんがお受け取りになりました。
>「え〜、今日は会場が段差になっておりますので、何回も足元に気を付けて下さいと言って来ましたが、最初から何度もずっとお話させて頂きました。もう充分足元はお気を付け頂いたと思いますので、最後は“上を向いて歩こう”で。」
場内大爆笑!
>「上手いなぁ!と自分で言っております。では最後に皆さんで“上を向いて歩こう”を唄ってお別れしたいと思います。」
10.出演者&会場のお客様全員で・・・
1.上を向いて歩こう
さとう宗幸さんが歌詞を教えてくださる形で、ステージ上の出演者&スタッフの皆さん、そして、会場のお客様の全員で“上を向いて歩こう”が唄われました。
>「ありがとうございました!お帰りはお気を付けて、足元を見ながらお帰り下さい!」
>「ありがとうございました!下を向いてお帰り下さいませ!(笑)」
>「本当にありがとうございました!」
15:40、会場の全員での大合唱を最後に、和やかで素晴らしいコンサートの幕が下りました。

【 コンサート終了後 】


ステージに向かって右の壁面(赤い四角で囲んだ所)に、馬場さんの写真が。


秋山さんのご提言で、会場の全員でご回復を祈った馬場さんの写真(中央)です。


こちらがロビーのCD即売コーナー。あんべさんのもしっかり売ってました!
閉演後のロビーはものすごい混雑になっていましたが、その中でCDを買って頂いたお客様にサインをなさったり、一緒に記念撮影に応じる松本哲也さんの姿が印象的でした。

【 ちゃあちゃんママのひとり言 】

ちゃあママにとって2年4ヶ月振りとなった今回の盛岡の旅、ライヴも2本も聴けたし(笑)、本当に楽しく充実の4日間でした。最近はご自身の物ではなく、他の方の(アルバム等の)プロデュース業にお忙しそうなあんべさんですが、ぜひまた近い内に、出来れば関東(近郊でも可!)でお目に掛かりたいものです。
なお実は当日まで、どんなコンサートなのかよく分からないままだった今回の『われら人間コンサート in 盛岡 2004』でしたが、2000年10月8日(月)に仙台市民広場で開催された『とっておきの音楽祭』を彷彿とさせる、とっても心温まる、感動のコンサートでした。
音楽ってそのまま“音を楽しむ”だものね、音を楽しむのに障害の有無なんて全然関係ないし。これからも機会があれば、何度でも聴かせて頂きたいと思いました。
ところで、コンサートの中で伊奈さんが仰ってた永さんの言葉、“既に障害を持った人も、これから持つ人も”共に手を携え、共に生きていける社会の更なる実現と言うか、『とっておきの音楽祭』で誰かが言っていた“心のバリアフリー”を目指して、ささいな事でも“種を蒔いて行きたい”と改めて思った私。いつの日か、自分が目指す形での福祉の分野への参加を、絶対に実現したいと強く思いました。
最後に、近年は今回の様なチャリティー系のコンサートへの参加や、市井の人々との交流会的なものへのご参加が多いあんべさんですが、来月(11/7)には岩手県藤沢町で“ふるさと短歌コンサートCD 歌姫たちのソング・オブ短歌 「nonohana」発売記念”『ふるさと短歌コンサート』を、そして、来年(3/5)には盛岡市民会館マリオスホールで『ソロデビュー30周年記念コンサート』を開催されるそうです。
来月の藤沢町は正直ちょっと厳しいけれど、来年3月の30周年記念コンサートは聴きに、また必ず盛岡に来ようと決心しました。あんべさ〜ん、またお目に掛かれるその日まで、どうぞご健康に留意され益々ご活躍下さいね!併せて、久々のオリジナルアルバムも期待しております!!


短歌コンサートのチラシです。


3泊4日の盛岡の旅もお終い、はやて・こまち94号で帰る事になりました。


ちゃあママが乗る新幹線がホームに到着。ありがとう、楽しい旅でした!

【 訃報 】

かねてより闘病中だった馬場勝彦さんは、このコンサートから2ヶ月後の2004年12月13日にご逝去なさいました。(享年64歳)
上記のコンサートが開催されたのと同じ会場の、盛岡グランドホテルでのご葬儀の模様が12/21付けの岩手タイムス Web Newsに載っておりましたので、詳しくはこちらをご覧下さい。
馬場さんのご冥福をお祈り致します。合掌。


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