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お手数ですが、『ちゃあちゃんのおうち』のあんべ光俊
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とっておきの音楽祭 the Movie
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2008年1月30日(水)
板橋区立文化会館
小ホール

こちらが本日のチケットです。
今日はSさんと午後2時に池袋駅で待ち合わせ、板橋区立文化会館・小ホールで行われた、映画「オハイエ!」の東京上映会に行って来ました。
この日の上映会は、10:30〜、15:00〜、18:30〜の3回。私は仕事はお休みをもらい、半休を取ったSさんと一緒に15:00〜の2回目の上映を観る事にしました。(残念ながら、10:30〜の1回目に来る事にしたQさんとはすれ違いでした。)

東武東上線で池袋から3つ目、大山駅を目指します。
大山駅で下車、改札を出て右側に折れ、踏み切りを渡ってにぎやかな商店街を暫く歩くと、左手に板橋区立文化会館が見えて来ました。

大山駅から徒歩3分、今日の会場が見えて来ました。

こちらが今日の会場の板橋区立文化会館です。
この日、大ホールでは渥美二郎さんのコンサートが行われるとの事で、正面入り口にはそちらのポスターが貼ってありました。^^;
会館正面の左手を奥に向かって進むと、右側に小ホールの入り口が見えて来ました。

小ホールの入り口前に、「オハイエ!」のポスターがありました。

こちらが会場で頂いたチラシ(ポスターと同じデザイン)です。
入り口を入り、上映会会場の小ホールがある2階に上がると、入場はまだとの事で暫くロビーで時間を過ごしました。
その後改めて小ホールに向かうと、既に入場が始まっており、中に入るとCD販売コーナーにあんべさんを発見!ご挨拶を兼ねてちょっとお話したら、この日は1回目の上映会から会場に入り、上映会の最後にはお客様と一緒に“オハイエ”を唄ったそうです。もちろん、2回目も?!
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【 映画「オハイエ!」とは 】
−菊地昭典(監督・脚本)−(上映会のお願いチラシより)
いわゆる音楽映画でも、ステージのライヴ映像ものでもありません。
2006年初夏、「ここ」にいた人、全てが出演者です。
この映画は「ここ」で起きた小さないくつもの物語です。
街という日常が、突然、ふしぎな空間に変わるステキな一日の物語です。
僕は長年、数多くのドキュメンタリー作品にかかわってきましたが、
たった一日を作品にするのは初めてです。企画の段階では不安でした。
でも「ここ」にはステキな出演者がたくさんいました。
あらゆる街が「ここ」になり、あの一日が永遠に続くことを望みます。
この映画をご覧になった方も、きっとそう願うはずです。
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【 解説 〜とっておきの音楽祭〜 とは 】
−とっておきの音楽祭・ガイドブック(’01年、第1回目版)より−
今年10月、『新世紀・みやぎ国体』と『第1回全国障害者スポーツ大会』が開催されます。
これらの大会では、世代・障害などにかかわらず誰もが障害を感じずに、気軽に参加・観戦できるような施設、ボランティアなどの支援体制を整えた『バリアフリー国体』を目指しています。
この国体を盛り上げると共に、障害のある人もない人も一緒に音楽を楽しむ、バリアフリーを目指す音楽祭を開催します。
この『とっておきの音楽祭』は、そのような人たちによる、そのような人たちのためのみんなの音楽祭です。
−音楽で心のバリアを打ち壊そう!−(上映会のお願いチラシより)
’01年に仙台市で始まったこの音楽祭は、障害のある人もない人も一緒に演奏を楽しみ、オンガクのチカラで、「心のバリアフリー」を目指す、市民ボランティアが企画・運営している音楽祭です。
心のバリアばかりでなく建物のバリアも外そうと、商店街、ビルの前、公園など、街がステージになっています。
毎年6月第一日曜日に開催される仙台での音楽祭では、全国から200ものバンド・団体が参加し、観客は約14万人と、障害のある人もない人も共に参加する「心のバリアフリー」を謳う屋外での音楽祭としては全国的にも稀有で、その規模も最大級です。
仙台市をはじめ、6都市でも開催されており、さらに全国に広がりつつあります。
−街じゅうに音楽と笑顔が−(上映会のお願いチラシより)
仙台市のメインストリートに23ステージが連なり、各ステージで同時に演奏されます。
街じゅうにさまざまな音楽があふれ、街を行き交う人も自然に観客となっていきます。
その演奏は生きるエネルギー、自分を表現する喜びに満ち、開放感にあふれたその笑顔に、観客もいつしか笑顔になっていきます。
このようにして心がつながり、日常としての街から不思議なあたたかい空間に変わる瞬間でもあります。
そして夕方。フィナーレでは、ステージ・観客合わせて数千人の人たちが一緒に歌い、踊り、ひとつになります。
−合い言葉は「みんなちがって みんないい」−(上映会のお願いチラシより)
みんな、姿形も生き方も考え方も、能力も、それぞれ違います。それぞれが違うことをお互いに認めあい、それを尊重すること。それが心のバリアフリーにつながるのではないでしょうか。とっておきの音楽祭では、大切な合い言葉としています。
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【 開会に先立ち 】
14:55、「ブ〜!」と言う予鈴が会場内に鳴り響き、手話通訳の穀田千賀子さんがステージに登場し、手話を交えながら耳の不自由な方への音声ガイド(&FMラジオの使い方?)のご説明がありました。
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【 開会のご挨拶 】
15:00、開演を告げる「ブ〜!」と言うブザーが再び会場内に鳴り響くと、ステージに『とっておきの音楽祭』の実行委員の丹野真衣さん(司会)、同じく実行委員で手話通訳の穀田千賀子さん、そして、映画「オハイエ!」のエグゼクティブ・プロデューサーであり、元・宮城県知事の浅野史郎さんが登場しました。
丹野さんの短い挨拶の後、浅野エグゼクティブ・プロデューサーのご挨拶がありました。が!約15分に渡っての熱弁(笑)、とても全部は覚え切れなかったので、ちゃあママの取ったメモの中から印象に残った部分だけ抜粋します。^^;

熱弁を揮う、プロフェッサー浅野。(笑)
>「僕は今、慶應義塾大学で、それも三田や日吉の校舎ではなく、湘南藤沢校舎で教えています。慶応藤沢キャンパスだから、本当は略すとKFCになるんだけど、そうするとケンタッキー何とかチキンと同じになるので、SFC(湘南藤沢キャンパス)と呼んでいます。」
のっけから、会場は大爆笑!
>「皆さん、僕の事を『知事』だの、『浅野さん』だのと気安く声を掛けますが、できれば『教授』とか『プロフェッサー浅野』と呼んで下さいね。(笑)」
>「映画「オハイエ!」のエグゼクティブ・プロデューサーとして、1人でも多くの皆さんこの映画を見て頂きたいと思っています。」
>「僕のゼミは障害者福祉ですが、学生がどうして僕のゼミを選んで来るのかよく分からない。TVに出ている先生の顔を見てやろうぐらいの気持ちで来ているのか?そもそも福祉の関係(専攻?)の学生はいないのに。」
>「障害者福祉の仕事と言うのは、哀れで可哀想な障害者に何か良い事をやって上げると言うものではない、と言う事をゼミを通して教えている。」
と、この時ホール内に鳴り響く携帯の着信音・・・。
>「携帯の電源をお切り下さると有難いです。」
会場から、笑いが起きました。
>「障害者福祉は世直し、国作り。それをいろんな手法を用いながら、1学期13回の授業を通じてそれを教えて行く。」
>「障害者=弱者、可哀相、助けてあげなくちゃいけないと言う事ではない。障害者福祉は自立=自己実現。生まれて来て良かったと言うのは、自分にしか出来ない事があったり、昨日まで出来なかった事が今日は出来るようになる、そんな事が実現できるのが自己実現。それは障害の有無、男女、年齢などに係わらず、それが人間が生きて行く上での目的。」
>「障害者はそれらの実現がなかなか難しいので、そこを手助け、そこを支援するのが福祉。またただ助けることではなく、弱者と言われている人を弱者ではなくする為のその過程が福祉である。」
>「竹中ナミさんと言う女性がいて、彼女は神戸のプロップ・ステーションの理事長を勤め、障害者を納税者にと言う運動をしている。」
中略。
・・・映画「オハイエ!」の内容について。
中略。
・・・スペシャルオリンピックの事、アールブルット美術展の事、etc・・・。メモが追いつかなかった。^^;
>「テーマの「オハイエ!」って、最初は何か変な言葉だなぁと思った。聞くところによると、おはようとイェ〜!を組み合わせた造語とか。」
ここで、浅野・元知事の高校時代の同級生でもありこの映画の監督の菊池昭典さんと、音楽プロデューサーのあんべさんがステージに登場しました。
菊地>「本日はご来場頂きありがとうございます。彼が全部話してしまうのはいつもの事なので、何を話せばいいのか。」
会場から、笑いが起きました。
菊地>「ドキュメンタリーと言うと堅苦しい感じがありますが、これは本当に楽しい、元気が出る、不思議なドキュメンタリーになっています、自分で言うのも何ですが。プロ・アマ47人のカメラマンでたった1日を撮りました。そのエネルギーとメッセージを感じ取って頂ければと思います。」

左から、穀田さん、あんべさん、菊地監督、プロフェッサー浅野。
あんべ>「あんべ光俊と言います。プロデュースで音楽を担当しました、宜しくお願いします。今回で7回目の上映で、本当は1回だけで終わるはずでしたが、止めちゃいけない、止められないねと言う事で続けて来ました。お陰様で【とっておきの音楽祭2007】が、昨年度の「日本イベント大賞」を頂きました。今日は音楽が命を輝かせるその瞬間をぜひご覧下さい。」
そして司会の丹野さんの、
丹野>「それでは皆様、どうぞごゆっくりとお楽しみ下さい。」
とのご挨拶に続いて、いよいよ「オハイエ!」の上映が始まりました。
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【 あらすじ 】
−「とっておき」は VERY SPECIAL−(上映会チラシより)
とっておきの音楽祭の「とっておき」はVERY SPECIALの意です。一人ひとりがかけがえのない存在であり、音楽のちからで個性が輝いてほしいという強い願いがこめられています。
’01年、仙台市で始まったこの音楽祭は、今、全国に広がりつつあり、’06年6月の第6回では、ステージ数23ヵ所、参加バンド・団体数196、観客約14万人となりました。
新緑あざやかな杜の都仙台市、その中心部のアーケード街の路上、ビルの前、公園など街がステージ。障害のある人もない人も一緒に歌い、踊り、街行く人が観客となります。
そんな「とっておきの音楽祭」から生まれた、ドキュメンタリー・ムービー。
−47人のカメラマンがとらえた 世界にたった一つのものがたり−(上映会のお願いチラシより)
たった一日12時間の音楽祭を撮影するために、プロと応募した市民ボランティア合わせて47人のカメラマンが、それぞれの感性で、笑顔や涙が心のこわばりを溶かし、心と心がつばがる瞬間、生きる楽しさ、自分を表現する喜び、さまざまな感動の瞬間をとらえました。
夕暮れに染まる頃、それはピークに達し、スクリーンからあふれ出すいのちのエネルギーが、皆さんを包みこみます。
−luluとYUUくんと知子さん−(上映会チラシより)
脳性マヒの行動的なシンガー・ソングライターluluは、6年前までは立つこともできませんでした。でも今彼は全身で自分のメッセージを伝えます。
ユーモアのセンスにあふれる、ウィリアムズ症候群の障害のあるプロの笙演奏家YUUくん。彼は雅楽からジャズまで超絶の技量で弾きこなします。
天使が舞い降りたような音色のリコーダーを吹くダウン症の荒川智子さん。彼女の奏でるリコーダーの音色は、頑なな心の扉を開きます。
この3人の存在は、この映画の大いなる魅力のひとつとなっています。
−ふしぎの輝き オハイエ!−(上映会チラシより)
「オハイエ」は、とっておきの音楽祭のテーマソングです。「オハヨー!」と「イエー!」をあわせた元気になる言葉。シンガーソングライターのあんべ光俊がつくりました。この音楽祭に参加した出演者、観客にとって、それぞれの思いがこもった言葉となっています。この映画でも全編にちりばめられ、そして、いつしか・・・。
あなたにも、この言葉のふしぎの輝きを感じてほしい。
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15:15、いよいよ映画「オハイエ!」の上映が始まりました。
スクリーンに映し出された場面をちゃあママなりにメモって見ましたが、こちらも全部はメモれなかったので、特に印象に残った部分や、その都度感じた事柄だけを抜粋して記します。
なお、文中に記した病名や障害(の状態)に関しては、ちゃあママの見たまま・感じたままと、多少の知識?を記していますが、不適切や不確かと感じる部分があった場合はどうぞご容赦下さい。また、文中の病気の詳細についてはネット等でお調べ下さいね。
※黒字はスクリーンに映し出された場面の説明。
※緑色字は、「ナレーション(抜粋)」
※水色字は、ちゃあちゃんママの補足・感想・その他?!
車椅子に乗ったluluこと関洋貴君が、理学療法士さんの指導の下、発生訓練に励む姿から映画がスタート。傍らには、その様子を見守るお母さんの姿。
飼っている鳥(九官鳥?)に話し掛けるYUUくんこと高橋由宇君。
YUU>「とっておき、出たい?」
鳥>「うん。」
何を聞いても「うん。」としか答えない鳥が可笑しくて、会場の笑いを誘う。
授産施設で出来上がったお菓子の袋詰め作業に励む、荒川知子さんの姿。
そして、「とっておきの音楽祭」の前日には、一緒にステージに立つ仙台フィルハーモニーの皆さんとのリハーサルの様子。途中から、YUU君も参加。
その素敵な音色に、仙台フィルハーモニーの皆さんからも拍手と歓声が上がる。
スクリーンには耳の不自由な方の為の字幕、そして、それと同時にここから渡辺祥子さんのナレーション「緑色で表記」が入る。
「とっておきの音楽祭」当日の朝。
集まったスタッフ・多くのボランティア。皆での記念撮影の様子。
「お揃いの黒いTシャツを着たのが、実行委員会の皆さん。そして、グレーのTシャツは当日ボランティアの皆さん。その数およそ400人。」
手話通訳の皆さんが、「とっておきの音楽祭」の合い言葉、「みんなちがって みんないい」の手話を練習している様子や、車椅子で乗り越えられる高さかどうか段差を確認する車椅子に乗った実行委員の男性の姿。
出演者であり実効委員でもあるluluも、スタッフの一員として他のスタッフと最終確認をします。
’01年10月、第1回目の「とっておきの音楽祭」のフィナーレで、“童謡・きじ撃ちじいさん”を披露した尾崎綾子さんが、今年は“山羊さんゆうびん”を唄っています。
「私は毎年アカペラなの。今年も気持ちよく唄えました。」と言って笑う尾崎さんは、笑顔の可愛いおばあちゃんです。
日本全国から集う出演者は、音楽のジャンルも様々。ロックあり、民族舞踊あり、お揃いのハッピ姿の男性コーラスあり。そしてそれらの演奏の様子を、道行く多くの方々も皆が思い思いに楽しみます。
観客の中からコーラスをやってくれる人を選んで、一緒に唄うプロ?らしい出演者。
この人、かなり怪しげな風貌とは印象が違って、声がすっごく良かったです。(笑)
スクリーンにはメイン会場であり、グランドフィナーレの会場でもある市民広場の場面。
「ここでは毎年飲食店ブースが立ち並び、各授産施設の皆さんが作ったさまざまな食べ物や工芸品などが売られ、これも「とっておきの音楽祭」の一つの楽しみになっています。」
場面は仙台市のメインストリート、定禅寺通りの風景。
「杜の都・仙台を象徴するケヤキ並木の緑のトンネル。ここにも幾つかのステージが設けられています。他にも、ビルの前のスペースなどもステージになります。」
老人施設からの出演者たち。車椅子に乗ったおばあちゃんやおじいちゃん。その中の1人のおばあちゃんが、自らマイクを持って“こいのぼり”を唄っています。
「全部で23のステージの内、2つが屋内のステージ。」
ここでの場面は仙台メディアテーク会場?「とっておきの音楽祭」に出演するために結成された、養護学校の生徒さんたちの演奏。
寝たきりの脳性マヒの女の子。ほんのちょっと動く指で、太鼓に張られたゴムを引っ張って太鼓を鳴らします。でも、残念ながら、ほんのちょっとタイミングがずれてしまいましたが、会場からは大きな拍手が。
男性に先導され、白状をついて歩く男性。
白杖の男性>「街の匂いも歩く目標になるかも知れない。」
この方はたぶん(映画の後半でも出演しますが)、視覚障害者・晴眼者混合のフォルクローレを主とした音楽グループ、フレンズドリームの一員の方ではないかな?
「商店街の一角もステージとなります。車椅子に乗って、難病の先天性筋ジストロフィーのシンガーソングライター、加川よしくにさんが登場しました。」
先天性筋ジストロフィーのシンガーソングライター、加川よしくにさんの姿がスクリーンに映し出されます。
電動車椅子に乗って唄うのは、もちろん加川さんのオリジナル曲。
この加川よしくにさん、あんべさんファンには今更説明するまでもないかな?
’05年9月に発売されたあんべさんのアルバム、『そこに咲く花のように』の9曲目、“自然の中で”はこの加川さんの作詞作曲です。
「進行性の難病と闘いながら唄い、唄う事で自分を支えて来た加川さん。病気が進行して肺活量が衰え、唄えなくなる事が1番恐れていると・・・。」
その不安と闘いながら唄う彼の歌は、逞しく清々しい・・・。
ちゃあママが加川よしくにさんの唄う姿を見た(歌を聴いた)’01年の「とっておきの音楽祭」の時と比べると、だいぶ運動機能が落ちている感じがしました。だからこそ尚一層、彼の歌声が心に響いて来るのかな・・・。
「とっておきの音楽祭」のガイドブックを配りながら、募金を募るボランティアの姿。
「とっておきの音楽祭は、こんな募金活動に支えられています。」
次は右手の手首から先がない男性がピアノを弾く姿。彼が奏でる冬のソナタ主題歌、“最初から今まで”の素敵な音色に多くの人が足を止め、うっとりと酔いしれる人々の姿が映し出されます。
5本の指がそろった左手では和音を、そして手首から先のない右手の、その手首の部分で主旋律を弾いていましたが、それがまた見事で、演奏が終わると観客からも大きな拍手が起こり、その直後にはアンコールを促す手拍子。そしてアンコールでは、これまた素敵なショパンの“ノクターン”(たぶん?)を演奏していました。
県庁前?の公園ステージ。
「ボランティアスタッフの配るガイドブックには、この街のバリアフリーマップ、各ステージのスケジュール、出演者のプロフィールが掲載されています。」
スクリーンには視覚障害者・晴眼者混合のフォルクローレを主とした音楽グループ、フレンズドリームの演奏。
続いてはlulu。
「ある脳性マヒの少年がいました。彼は唄いたい、ギターを弾きたいと言う夢を持った時、彼は歩けなかった。手もこわばり、彼の話す言葉も誰もわからなかったけど、彼は6年前の「とっておきの音楽祭」に出演しました。
その後仲間たちに支えられて、ストリートライヴに参加した事がキッカケで、自分の力で立ち上がりました。皆と同じ様に立って唄いたい、それがシンガーソングライター・luluの誕生の瞬間でした。」
6年の月日を経て自分の力で立って歩ける様になったlulu君、でも足元はまだおぼつかず、また脳性マヒ特有の不明瞭な言語の為に、聞いている人たちには彼の発する言葉がなかなか分かってもらえないかも知れないが、それでも一生懸命唄うluluのその姿は、私たち見ている者の心に突き刺さって来る。
画面は変わって街行く人や、各会場で聞いている人たちへのインタビュー。
車椅子に乗った脳性マヒ?の息子と一緒に来ていたお母さんは、「皆が頑張っている姿を見て、この子も勇気をもらえる気がする。」と。そして、カップルで聞いていた女性は「去年も来て、本当に楽しかったから今年も来ました。」と・・・。
聴覚障害の女性。
障害の為に声を出して唄うことは出来ないが、スピーカーから流れる低音を頼りに、手話で唄う(表現する?)姿や、周りの観客の皆さんと共に“ふるさと”を唄う姿が映されました。
また、同じく聴覚障害の3人の女性。
平原綾香さんの楽曲に合わせて、彼女たちも手話で唄う(表現する?)姿。その先には彼女たちの手話の先生も。彼女たちの感情に溢れたその唄う姿に、観客から大きな拍手が向けられる。
「16:00からのグランドフィナーレの時間まで、各会場には100号もの大きなキャンバスが置かれています。」
いろんな会場で、100号のキャンバスに思い思いに絵を描くアーティストたちの姿。見た感じでは、アーティストの殆どの方が何らかの障害をもっている様です。
続いては、荒川知子さんの姿。
「知子さんは家族でファミリーアンサンブルで全国各地で演奏しています。
ちなみに、お父さんは音楽指導講師、お母さんはピアノの音楽教室を主宰、お兄さんは新日本フィルハーモニー交響楽団のフルート副主席奏者です。」
千葉市のテプコプラザ(東京電力)での、ファミリーコンサートの様子が映されました。
そして場面は変わって、仙台メディアテーク会場?
「知子さんのファミリーアンサンブルは、この音楽祭の人気グループの一つです。」
そして、会場の皆さんにご挨拶する知子さんの姿。
荒川ファミリーによるアンサンブルと、それに引き続き地元・仙台フィルハーモニーの皆さんとの演奏の場面。
その後は、同じく仙台フィルハーモニーの皆さんとYUU君の演奏の場面。
そのYUU君は、時々TVで見掛ける宮中での雅楽奏者が着る様な、艶やかな衣装を身にまとい、頭には烏帽子?を被っていました。
「YUU君はユーモアのセンスにも富み、コミュニティFMのパーソナリティも勤めています。また、プロの笙演奏家としての評価も高いYUUくんは、仙台七夕の“星の宵祭り”でも毎年演奏しています。」
仙台七夕の“星の宵祭り”での、演奏の様子が映し出されました。
「’06年11月にアメリカ・アナハイムで開催された、日米ハーモニック・コンサートにゲストで招かれました。」
その日米ハーモニック・コンサートの様子(家庭用ビデオで撮影?)が流れました。
演奏を終えたYUU君のインタビュー。>「将来はカーネギーホールで演奏したいです。」
また、知子さんへのインタビュー。>「演奏が成功して気持ちいいです。」
知子さんのお父さんへのインタビュー。>「私にはあの音色は真似できません。知子の性格や優しさが音色に出ているんだと思います。」
続いては、YUU君がリーダーを勤める古典雅楽のグループとしての、野外ステージでの演奏の模様。
様々な出演者へのインタビューシーン。Qは「あなたにとっての“とっておきの音楽祭”、“音楽”とは?」それぞれの人が、自分の言葉でそれぞれの想いを答えるシーンが続きます。
仙台の伝統芸能“すずめ踊り”の賑やかな踊りの様子や、盲目のクラリネット奏者の方の演奏シーンなど、この後も様々な演奏シーンが続きます。
BGM:やさしいタカラもの
ここでBGMとして、あんべさんの“やさしいタカラもの”が2番から流れ始めました。
「この日、この街にはいくつもの小さな物語がありました。これらの中に悲しい出来事や、大笑いするほどの物語もありません。でも、思わず微笑んでしまうのは何故でしょう?心が元気になるのは何故でしょう?」
ベットに横たわったままの青年。彼も筋ジストロフィーでしょうか?
作詩を担当した彼を中心とした、音楽ユニット。彼の詩にボサノバ調の曲を付けて、実際に唄うのは女性シンガー。音楽サポートスタッフでしょうか?
「とっておきの音楽祭では詩を募集し、実行委員や音楽サポートスタッフがそれに曲を付けて演奏します。」
脳性マヒの少女が作って応募した詩に、曲をつけたものが演奏されました。
車椅子に乗った筋ジストロフィーの青年3人組ユニットの演奏。1人がフォークギターを弾き、それに合わせて3人が交互に歌う姿がスクリーンに映される。そして、アンコールの拍手。
このギターを弾いている青年、弦を掻き鳴らすその右手の指は病気のせいで既に萎縮が始まっている。それでも力強く弾くギターの音、また車椅子に座ったまま、自分たちの残された力を振り絞って「楽しい!」と唄う彼らの声が私たちに勇気をくれる気がする。
16:00、いよいよ市民広場でのグランドフィナーレの開始時刻。
大きな横に長い細い布地の片方ずつを持った、この日の出演者や実行委員が何組も、客席の下手から会場に入場して来ます。
グランドフィナーレのトップは、ほでなすブルースバンドと言うグループの唄う、ロック調の“ソーラン節(替え歌ver)”。
この、“ほでなす”の4文字に、ちゃあママとSさんは大ウケ!(爆)
☆長崎瑞宝太鼓による、力強い和太鼓の演奏。
☆名取?養護学校の皆さん&その兄弟かな?による演奏。
生徒たちのほとんどがベット(ストレッチャー?)に横たわったままだったり、車椅子に乗っています。そんな子供たちが手にした楽器を、先生方?が補助しつつ、他の先生方と一緒に演奏しています。そして歌の担当は、たぶん生徒さんの妹さんって感じかな?
☆荒川知子さん&笙YUU君による、“Amazing Greace”。
演奏を終えて握手をする2人の姿が微笑ましい。
☆李政美(イ・ヂョンミ)さんによる、“わたしと小鳥とすずと”。
昭和初期の詩人・金子みすゞの童謡“わたしと小鳥とすずと”に、在日コリアン2世のフォークシンガー、李政美(イ・ヂョンミ)さんが曲を付けた歌です。
なお、’01年10月に行われた第1回目の『とっておきの音楽祭』に出演予定だった李さんは、その当日は残念ながら体調を崩して音楽祭には欠席となり、この歌はmegu-mixと大和・ビューティフル・シンガーズによって唄われました。
あの日、会場で聴いたこの歌詞とメロディにすっかり魅せられてしまったちゃあママ、いつかは李さんの生の声で聴いてみたいと思っていましたが、6年越しの悲願達成。それはそれは、本当に心に響く素敵な曲&歌声でした。
ちなみに、李さんは大将コンビと同窓、国立音大のご出身だそうですよ!
☆lulu君と彼のユニットによる、♪生まれて来てくれてありがとう。
曲名は分かりませんが、♪生まれて来てくれてありがとう!と言う印象的なサビが、何度もリフレインされる素敵な曲でした。
「4年前のフィナーレではようやく立っていたlulu君。今年はダンスを披露しました。溢れるエネルギーを全身で表現します。」
そのlulu君、歌の最後にはなんとJUMP!
「フィナーレのラストは会場が待ち兼ねていたこの歌、とっておきの音楽祭のテーマソング、“オハイエ”。」
☆会場全員による、“オハイエ”。
この時には気持ちがピークに達したちゃあママ。スクリーンから流れて来る歌と一緒に唄い、ついつい手話までやってしまいました!^^;
「誰が出演者で、誰が観客なのでしょう?!既にステージも客席も関係ありません。」
ん?!スクリーンの中(ステージ上)に、ブルーの花柄模様のシャツを着たあんべさんの姿を発見!!
エンドロールのBGMは、あんべさんの唄う“オハイエ”。
様々な関係者の方々の名前の中に、お知り合い数名の名前を見つけました。(笑)
なお、エンドロールが終わり全ての上映が終わった時に、思わず1番最初に拍手をしてしまったのは私です。だって、本当に素晴らしかったんだもん・・・。^^;
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【 MINI LIVE 】
16:58、ステージに荒川知子さんとお兄さんの洋さんが登場しました。ちなみに洋さんは、新日本フィルハーモニーのフルート奏者なのですよ。
この日の知子さんは、映画の中と同じ赤いチェックのジャンバースカート姿でした。可愛い〜♪
1.二羽の鳥 とびながら話してる
2.みんなしあわせ(知子さんのオリジナル曲)
演奏途中で時々アイコンタクトを取る知子さんと洋さん。すっごい仲の良い兄妹なのでしょうね!特に洋さんが知子さんを見る眼差しの優しい事ったら。妹が可愛くて仕方ないって感じでしたよ。^^
17:06、ステージにあんべさんが登場。あんべさんと手話通訳の穀田さんによる手話のご指導の後、荒川知子さんも交えての“オハイエ”が始まりました。

ジャンバースカート姿がとってもお似合いの知子さんと、あんべさん。
あんべ>「じゃあ、立ちましょうね!」
あんべさんのそんな言葉を待たずして、ちゃあママが早々に立ち上がった事は言うまでもありませんが、客席の半分以上の方が立ち上がって下さり、皆で手話を交えながらの“オハイエ”となりました。
3.オハイエ!
“オハイエ”を唄いながら、あんべさんが
あんべ>「とっておきの音楽祭になって来た!」
と言うほど、本当に素晴らしく楽しい“オハイエ”でした。^^
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【 上映会終了後 】
上映会終了後、座席で入場時に配られたアンケートを記入をしてからロビーへ出ました。すると、そこには自ら呼び込み?をして、「とっておきの音楽祭」関連のCDを売る浅野・元知事やら、あんべさんの姿がありました。
暫くして人並みが途切れるのを待って、「プロフェッサー浅野!」と声をお掛けし、ちょっとだけ私的なお話をさせて頂きました。また、「とっておきの音楽祭」へほんの気持ち程度の募金をしたら、あんべさんから↓のステッカー2枚や缶バッヂを手渡して貰いました。

実物は横幅が23cmもある大きなステッカーです。

『とっておきの音楽祭』のシンボルマークがキュート☆
その後、ちょっと早いけどあんべさんにバレンタイン・チョコをお渡しし、出来れば4月の国際フォーラムの前の再会をお願いして会場を後にしました。ヾ(´▽`*)ゝエヘッ
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【 とっておきの音楽祭関連CD・本のご案内 】
| 大きなジャケット画像をご覧になりたい方はジャケット画像をクリックして下さい。 (※なお、全て別ウィンドウで開きますのでブラウザの |
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【 とっておきの音楽祭関連HPのご案内 】
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【 ちゃあちゃんママのひとり言 】
すみません。今回はチョ〜長いです。
「あぁ、楽しかった〜♪」
適切な言葉じゃないって思われるかも知れないけど、これが映画「オハイエ!」を見終わったちゃあママの素直な感想です。
もちろん、ただ楽しいだけの(娯楽チックな)映画じゃない事は重々承知。でもね、そもそも「とっておきの音楽祭」って、〜障害のある人もない人も一緒に音楽を楽しむ、バリアフリーを目指す音楽祭〜なのだから、この映画も楽しいのが1番なんだと思うんだ。
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だた一つ残念な点は、この映画の撮影されたのが’06年(第6回目)で、ちゃあママが実際に会場で聴いた’01年(第1回目)ではなかった事。
それでもあの第1回目と重なるシーンが多く、また実際にちゃあママの目で見た出演者、ちゃあママの耳で聴いた歌の数々もあって、「あの日の感動よ、再び!」って感じでした。
加えて、映画に度々登場したlulu君とは一時期はメールのやりとりをしてたし、加川よしくにさんとは「とっておきの音楽祭」のHPが縁で、ちゃあママと仙台にあるN養護学校の同窓生(時期的には一緒にはなりませんでしたが)と言う事が分かり、それからメールやお手紙などの交流が始まって、それは今も続いているので尚更かな。^^
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そして、ちゃあママ自身が一時期、「そんな立場」にいた事もあるし、「そんな人(障害者)」と言われる人たちと一緒に生活?してた経験があったからこそ、「普通?」の人とは違った捕らえ方をしているのかも知れませんが。(*゜.゜)ゞポリポリ
今回はあえてその辺をカミング・アウト?しちゃいますが・・・。まずは、前述した仙台のN養護学校の事から。
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これは、’01年(第1回目)の「とっておきの音楽祭」のレポでも書きましたが、実はちゃあママ自身も3年間の入院生活、その中(都合3年間で)2度の手術を経て、お陰様で現在では病気も(完治ではないけれど)治り、普通に社会生活を送れてはいるけれど、下手すれば(不本意な表現ながら)“かたわ”と呼ばれていたかも知れない身。
祖母が私の身体の異常を見つけたのが小学4年のお正月。その後すぐに診察に行った東北大学付属病院で、「この病気は治療が数年に渡る。入院中に学校が遅れては可哀相だから」と、養護学校併設のN病院を紹介され、N病院のベットが空くのを待って小学校5年から中学1年までの3年間を過ごしました。
そんな入院生活は、母親(家族)が1〜2週間に1度ぐらいしか面会に来れなかったのが淋しかったけど、それでも毎日が何と言うか寄宿舎生活の様で、たいした悲壮感もなく本当に楽しかった。今にして思えば、そこはやっぱり子供だったという事もあると思うけど、治るとか治らないとか、治療方法があるとかないとか、死期が迫ってるとか、そんな事にすら鈍感だったかも・・・。
それでも、昨日まで元気?だった同室の子の容態が急変し、個室に移され、数日後に亡くなってしまったりだとか、それまで何とか歩けていた筋ジストロフィーの同級生が、ある日から車椅子に乗る様になり、時を経て電動車椅子、やがては「昨夜、亡くなった。」と告げられたりと言う事があったりで、子供ながらも命の大切さ、生きる事の意味みたいな事を考える機会が何度もあった。
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そして、入院した当初は仙台市立Y小学校の療養所分校(通称:Nベッドスクール)だった我らが母校は、当時の世間一般からみても珍しい形であった為か、時々いろんな団体(特にPTA関係)の見学が来たものだった。
始業時間になると職員室から先生がやって来て病室がそのまま教室になるので、特にそんな光景を見学してもらうと言うのが通例だったが、私たちはそれがイヤで仕方なかった。だって、私たちはたまたま病気になって入院し、その入院した病院に学校があったから、普通の子と同じ様に勉強してるだけって感じだったから、皆口々に「私たちは見世物じゃない!」って言ってたものだった。
また年に何回か、地元のTV局が取材に来ては、「この子たちはこんなに頑張ってます!」みたいな放送をされるのもイヤだったなぁ・・・。
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でも今になってつくづくと思うのは、手段はどうであれ、そんな「障害者」や「病気と闘っている子供たち」の存在を知ってもらう為だったのか。たまたま障害をもってしまったり、難病と言われる病気になってしまっただけで、私たちは(決して頑張ってじゃなく)こんな風に生活してるって事を知ってもらう、一つのキッカケだったのかも知れないって。
言うなれば、長い年月を経て形を変え、この「とっておきの音楽祭」になったのかも知れないね・・・。
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話を戻して、入院して最初の2年間はギブスによる矯正や機能訓練中心の治療、そして3年目に入った中1の春に主治医の先生から手術を勧められ、5月には5時間半に渡る手術を受け、その後は上半身にギプスを巻かれた姿で7ヶ月間もベットに寝たきりの生活・・・。
それでもその翌年の春には、コルセットを付けた姿ながらも無事に退院し、中2からは地元の中学に戻り、(入浴時以外はずっとコルセットを付けっ放しの生活で、もちろん体育の時間は全て見学でしたが)普通の中学生活を送っていました。
そして、最初の手術の時から決まっていた通りに、中3の夏休みを利用しての1ヶ月の再入院&再手術。再手術も無事に終わったものの、その後もコルセット生活は続き、晴れて外せたのは中学卒業の時で、高校は普通校に行った訳ですが・・・。
そんなちゃあママ、その3年間の入院生活があったからこそ、中学3年になった頃には将来は福祉の道に進みたいと心に決め、高校は一応地元の進学校に進み、大学は社会福祉学部を選び、いずれは養護学校教諭を目指して教職課程を選択し、母校のN養護学校へ教育実習に行ったりもしましたが、結局は宮城県の教員採用試験に受からず、就職浪人も考えたけどそれも無理と志半ばで挫折・・・。
その後も何だかんだと紆余曲折を経て(と言うか、私なりの理由もあって)、いずれにしても「福祉」を職業にする事はできなかったけど、広い意味での「福祉」とは一生関わって行きたいとは思っているので、いずれは何らかの形で参加して行けたらと今も強く思っています。
それは上映会の開会に当たってのプロフェッサー浅野が言ってた言葉の通り、何らかの手助けと言う形ででもやって行ければ、ううん、やって行きたいと・・・。
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ちなみに、後年母が漏らした本心。その当時の我が家は、娘を大学にやるほど余裕があった訳ではないけれど、3年も入院していた事が将来どんな不都合を生むか分からない。仮に病気の事が原因で縁談に恵まれなかったとしても、それ相応の学歴が身に付いていれば、将来1人でも何とか生きていけるだろうし、親としてできるのはそんな事しかないと思ったからと・・・。
そんな母の心配は、(大学を出て3年目には早々と結婚して)杞憂に終わったけれど、両親のこの思いは本当に有難かったし、改めて“世間”ってものを考えさせられる出来事だった。
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ところで、ちゃあママがプロフェッサー浅野と交わした、私的なお話の中身ですが。
実はちゃあママ、プロフェッサー浅野のお姉さんの教え子なのですよ。高校時代の倫社の先生がプロフェッサー浅野のお姉さんで、数年前に開催された高校の同窓会では「次の知事選挙では、また浅野史郎を宜しく!」なんて挨拶してました。^^
そんなこんなで、「私、お姉さんの教え子なんです。お姉さん( H先生)はお元気ですか?」「おぉ、元気だよ〜!」なんてお話をさせて頂いた訳です。(笑)
ちなみに、プロフェッサー浅野は東京大学法学部卒、お姉さんは東北大学哲学科卒。何と優秀なご姉弟なんでしょうね?!
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あとね、↑でもご紹介した「とっておきの音楽祭」の本、「音楽でバリアを打ち壊せ」が出版されてすぐにネットで2冊購入して、1冊はSさんに進呈しようと思いつつずっと忘れてて、この日やっと会場まで持って行ったのですが・・・。
何と当日会場でも売られていて、購入者には菊地監督がサインを入れて下さってるのを目撃したので、持って行った本にしっかりサインを入れて貰いました。こっちのサイン入りはちゃあママの物とし、Sさんにはまた後日、もう1冊の方を進呈する事にしました。^^;
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さてさて、今回はいつにも増して、何が言いたいのか収拾が付かなくなってしまった気もしますが、どうかちゃあママ自身の事はさらっと流して下さい。(笑)
その上で、この映画を観た方も、これから観る予定の方も、残念ながら予定すらない方も、皆さんそれぞれが「障害者」や「福祉」と言うものをいろいろと考えて下さるキッカケになると良いなぁと思う訳です。
日本では「福祉」=「行政福祉」みたいな概念があって、そういうのはお役所の仕事って印象が強いけど、そうではない日常の生活の中でも実現できる、ささやかな「何らかの手助け」から始めてみて欲しいと思います。もちろん、ちゃあママは日頃から実践しているし、今後もそんな気持ちだけは大切にしたいと思っていますが・・・。
そして今年は久し振りに、生の「とっておきの音楽祭」を感じて来たいと思っています。今年の開催は6/1(日)10:30〜。皆さんもぜひ仙台で、生の「とっておきの音楽祭」を楽しみましょう♪
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【 余談 】
板橋区立文化会館を出た後、Sさんと大山駅前の商店街を隅から隅まで覗いて回り(笑)、池袋駅に出てからは池袋駅・東口にある宮城県のアンテナショップ“宮城ふるさとプラザ(コ・コ・みやぎ)”で試食したり、いろいろ買い込んだり、係りの方と談笑したりして小1時間ばかり油を売り、その後近くの居酒屋で一杯飲ってたら時間は既に22:30!板橋区民文化会館を出たのは17:30頃だったのに!
慌てて岐路に着き、自宅に戻ったのは0:30でした。^^;